【音声ガイド】 |
「川越山(カンゼ山)の由来」
元々、766.3mの地点には特定の呼称は無く、「カンゼ山」が、あの一帯を指す呼称として、地元では使われていました。
後に、県立名栗げんきプラザにより、「正丸山」と便宜的に命名され標杭が立てられました。
ただ、何故か、川越山の位置にその杭が立てられてしまったために、混乱してしまったようです。
以上のように、特定の呼称は無く、元々存在しておりませんので、歴史的に何が正しいかは、申し上げ難い所でございます。
現在では、766.3mの地点に「川越山(かんぜやま)」、「川越山(かんぜやま)」と新しい正丸峠の間、780メートルの地点に、「正丸山」の道標が、埼玉県により立てられています。
「問い合わせ先:飯能市立博物館」
「正丸山の由来」
大野峠隣りの、三角点のある山は、秩父の陸地測量部の地図に丸山と書かれてありますが、実は大丸と呼ぶのが正しく、又、古い書物には正丸峠を小丸峠と書いてあり、秩父から越生と飯能へ通じる各々の峠路である。
この二つの山名には、何か関係があるのかも知れません。
一番古い正丸峠は、その後、通行に便利な正丸三角点、俚称、カンゼ山の東肩を越えるようになりましたが、この道は途中、ハグレとよばれる難所があったり、また、天狗岩では天狗の提灯(注釈、昔、武蔵の国飯能の山には天狗が住むと言われていた。
突然山の中で呼び声がしたり、木を切り倒すような音がすると、それは天狗の仕業とされていたが、実際に天狗の姿を見た者は誰もいなかったという。)にいたずらされたりして、通行人は楽ではありませんでした。
それが、現在ではバスが峠を走り、東京と秩父とを結ぶ重要な峠となり、正丸峠は新正丸峠として登山者の間でも脚光をあびるようになったのです。
秩父峠の別名をもつ正丸峠は、「小丸峠」とも書きます。
これは、峠より約5キロ北にある960mの丸山を「大丸」ともいったことに対し、峠の西の766mの突起を「小丸」と呼んだことによるとも思われる。
正丸山の由来を知るには、すぐ近くの正丸峠の由来を調べなければならない。
正丸峠は、古くは小丸峠と書かれ、この小丸というのは、すぐ西の766.4m・三等三角点峰のことであり、芦ヶ久保駅の北にある丸山、960mのことを大丸山と呼んでいて、その対の山として小丸山と呼ばれるようになった。
小丸山の近くの峠を小丸峠と呼ぶようになり、のちに正の字をあてられ、現在の正丸峠になった。
昭和12年に国道が開通すると、新正丸峠ができ、そちらを正丸峠と呼ぶようになり、古くからの峠を旧正丸峠と呼ぶようになった。
新正丸峠に近い780m圏峰に、正丸山の山名標が作られたが、由来を調べれば、これは明らかな間違いだとわかる。
「奥武藏 登山詳細図踏査日記」より
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